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  • 執筆者の写真Kazuhiro Yorimitsu

恩返しと感謝、心を運ぶ


津波に流されたキリコを運ぶ兵庫県からのボランティアら=4月12日、珠洲市宝立町鵜飼


 「重いよー」巨大な白木のキリコを運ぶボランティアの声が漁師町に響きました。兵庫県からバスで珠洲市に駆け付けた全国災害ボランティア支援機構のメンバー14名が、被災した住民の要望に応え片付けを手伝いました。3泊4日の日程で瓦礫の撤去作業に従事するそうです。

 

 私はこれまで様々な災害現場を取材してきました。その現場には、必ずと言っていいほど兵庫県のナンバープレートを付けた車が走り、その人たちの声が聞こえてきます。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で兵庫県は甚大な被害を受けました。そして、被災した兵庫県の人たちを救おうと、全国から大勢のボランティアが神戸などの被災地に駆け付けました。この年を機に、日本でも多くの人が災害ボランティアへの関心を持つようになり、NPO法の法整備につながっていきました。よって、この年は「ボランティア元年」とも言われています。


津波で被災した収納小屋前にキリコを運ぶボランティア


 「あの時の恩返し」兵庫の人たちは、いつも、どの被災地でも、この言葉を言われます。


 阪神淡路大震災から2年後の1997年1月、島根県隠岐島沖でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が沈没し、日本海に大量の重油が流出。福井県や石川県の沿岸に真っ黒な重油が流れ着く災害がありました。当時、石川県珠洲市長橋町の重油回収現場で取材していた私の横に、一台のバスが止まりました。神戸から駆け付けた大勢のボランティアを乗せていました。油をすくうひしゃくを手に、「少しでも恩返しをしたい」そう話した男性の笑顔を忘れることはできません。そして今、27年の時を経て、故郷で再び「恩返し」の言葉を聞いたのです。


 今回、加古川市から参加した畠由美子さんは、能登に来る道すがら、窓の外に広がる光景を見て、以前ボランティアで訪れた熊本地震の被災地を思い出したそうです。「何かできる私にも!瓦礫ひとつでも運んで助けてあげたい」と話し、「自分にできることを、行って何かをすることで、被災した人が笑顔になってくれるのが嬉しい」と作業に勤しんでいました。


作業の合間に食事をとるボランティアの皆さん


来年1月で阪神淡路大震災から30年になります。神戸市の東遊園地で行われている追悼行事の会場には「語り継ぐ」「忘れない」などと書かれた竹灯籠が並び、犠牲となった人たちを思います。毎年、取材で会場に足を運んでいましたが、今年は能登半島地震の発生のため行けませんでした。来年は追悼会場で、これまで訪れた被災地や能登半島地震で亡くなった方たちに思いをはせたいと思います。そして、兵庫の皆さんに「ありがとう」と感謝を伝えたいと思います。


 キリコは祭りの國「能登」の心です。津波に流されたキリコを運ぶボランティアの皆さんの姿は、能登の心を運んでくれているのだと思いました。祭りのお囃子、勇壮な掛け声を思い出しました。復興を手助けしてくださる皆様の努力に報いるためにも、必ず祭りを復活させ、感謝の気持ちを胸にキリコを担ぎたいと思います。


満開の桜の下、一休みするボランティア=4月12日、珠洲市のボランティアセンター

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