
各市町村が設置した災害ごみ集積場の情報が載る新聞紙面(6月29日、北國新聞紙面より)
新聞を広げて支援情報欄に久しぶりに目を通しました。災害ごみ集積場の情報を見て驚きました。珠洲市には4か所の災害ごみ集積所が設けられていましたが、3カ所になってしまっていました。珠洲市の北側エリア(外浦地区)にあった長橋漁港の集積場が廃止になっていたのです。

珠洲市の地図。赤い文字の3カ所が現在も設置されている集積場。北側の黒い文字で書かれた長橋漁港の集積場は廃止になった(地図はgoogle mapより)
北側のエリアは国道249号が崩落により交通の便が非常に悪くなっている地区です。例えば、大谷町から災害ごみを集積場に車で運ぶとなると、う回路になっている峠道を通って小一時間はかかります。これが、2度3度の往復となると大変な労力です。ガソリン代も馬鹿になりません。確かに、外浦地区には広い土地があまりなく、集積場に適した土地はないのかもしれないですが、公費解体工事はようやく始まったばかりです。これから、被災した家屋の片づけを始める家庭もまだまだあります。市外の避難先から珠洲に戻って家の片づけをする。そこからさらに遠い集積場までの運搬作業は、大きな心理的負担となっています。
先日、初めて泉谷珠洲市長や市幹部が来られて大谷地区で意見交換会が開かれました。市内各地のトップバッターを切っての意見交換会です。期待を持って市内の避難先から駆け付けた人もいました。ただ、そこで発表されたのは、予定されていた著名な建築家が手掛ける仮設住宅建設の中止発表でした。資材の高騰などが要因とのことですが、資材高騰など大阪万博建設で、耳にタコができるほど聞いているニュースです。計画性のなさが露呈したといわざるを得ません。住民たちの落胆は大きく、中には「大谷地区は、なんでも最後。水も最後、風呂も最後…」などという声も出たそうです。現在、大谷地区の避難所はシャワーが使えるようになっています。ただ、ゆっくり足を伸ばして湯船につかるためには、先ほどの峠のう回路を通って、自衛隊の入浴支援施設や、被災者に解放されている銭湯に行かなけれはなりません。
県内の他の地区では、将来、希望すれば住み続けられる恒久転用の木造仮設住宅への入居が済んだところもあります。大谷地区は測量が始まり、すぐに計画中止の発表というお粗末そのものの状態です…
行政の皆さんが、不眠不休で頑張っていらっしゃるのも知っています。ただ、もう少し計画をちゃんとして欲しいと思います。自分たちで出来ることは自分たちでします。ただ、復興への着実な歩みは、行政のトップであるあなたたちの肩にかかっているのです。被災者が、誰かに置いてけぼりにされたような気分にならないよう、しっかり頑張ってください。
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